うつ病を経験して思うこと
hungryswallowです。
心の病について書こうと思う。
抑うつ状態から回復してきて、思っていることを書きたいと思ったものの、何をどう伝えたらいいか分からなくて、何回も書き直している。
去年、生きることに疲れたと初めて思った。
1度そんなことがふと頭に浮かんだら、その言葉が頭から離れなくなった。私って何なんだろう。何で生きてるんだろう。自分はどこにも辿り着けない。生きることに疲れた、疲れた、疲れた…
気づいたら、ご飯が食べられない、料理ができない、お風呂に入れない、何にも興味がない、そんな状態になっていた。何もできない人間。ああ呼吸はしてるし頭は動いているか。
それでも今、私はどうにかこうにか生きている。
ご飯も食べられるし、お風呂にも入れるようになった(小学生みたいだ)。楽しいことや好きなことが分からなくなったけど、雨の音がする、緑が綺麗だ、風が気持ちいい…自然を身近に感じるようになった。最近では、また本を読みたいと思うようになった(うつ状態の時は本が読めなかった)
嫌になったこと、苦手になったこともある。車の音がうるさい場所、ガヤガヤしたお店、テレビがずっとついている部屋。とにかく音に敏感になってしまって、そういう場所を避けるようになった。
時間がたったら、暗いところを抜ける日がくる。
そうなるまで、苦しかったし、抜けた後も、前と同じ状態に戻るわけじゃないんだなと感じている。自分の中の色々なことが変わってしまったし、正直何が正常で何が異常なのか分からない、回復ってなんぞや?というところに今いる。
SNSをほとんどしなくなった結果、数人を除いて連絡を取る人はいなくなった。一時期ほんとに1人だなと思った。今は、じっくり深い話ができる人が1人いる。それでいいのだと思う。元々そんなにたくさんの人間と付き合えるほど私は器用じゃない。昔から1人で遊ぶ時間が好きだった。社会人になって大分無理をしていたんだなと気づいた。
今も、無気力になったり、食べるものを選べなくて途方にくれたりすることがある。最初は、私は自分が食べたいものすら分からない人間になってしまったのか…とショックだった(自分がなくなってしまった、という感覚になった)。今では、しょうがない、そんな自分とじっくり付き合おうかと思えるようになった。
生きるのに疲れた、というのは今の自分で生きるのに疲れたよ、ということだったんだろうなと思う。
理想が高かった自分。本音をいつも我慢していた自分。無理していた自分。嫌いだった自分。自分自分自分。ぶちあたっている。
もう一度私をやり直すために、今の私で生きることを選ぶ。
読書記録 スピリチュアルにハマる人、ハマらない人 香山リカ
こんにちは。hungryswallowです。
前回に続き、香山リカさんの著書を読みました。
タイトル「スピリチュアルにハマる人、ハマらない人」
香山さんの本を読むのは三冊目。彼女のファンというわけではないのですが、最初に読んだ本が読みやすかったのと、スピリチュアルってなんぞや?と疑問に思ったので読んでみました。
この本には、スピリチュアルにハマらない人(香山さん)から見た日本のスピリチュアルブームとその考察が書かれています。この本が発行されたのは2006年。江原啓之さんの出演する番組が人気だった頃に出版された本なので、内容も少し昔のものと感じるかもしれません。
読み終えて、この本の言いたいことは何なのだろう…となりました(おい)。ズバッと結論を述べる本ではないし、それを求めて読む本ではないです。あくまでも一歩ひいた目線から、日本のスピリチュアルブームを考察している本なので、私みたいにスピリチュアルって何なの?とか本やネット、人を通してスピリチュアルを知ったんだけどこれって一体…と疑問に思った人には興味深い内容だと思います。
科学的な面からスピリチュアルを検証したい、もっと深い内容まで議論したいという方には物足りなく、逆にスピリチュアルが好き、信じているという方は不快になるかもしれません。
私がこの本で面白いなと思ったのは、なぜ宗教ではなくてスピリチュアルなのか、に対する考察です。宗教は自分より他人=利他主義であるが、現代日本のスピリチュアルは「私」、「自分」が幸せになる=利己主義だ、という内容を読んだ時は思わずなるほどと思ってしまいました。そうなんだよな、視点が自分中心ものをよく見かけるんだよな…と。そのままで愛される、人生が思い通りになる…パッと見ると明るい言葉なのですが、本でもセミナーでも何でも、苦しくて悩んで辿りつく人のことを思うと、そこをビジネスにしているところに暗さを感じてしまうのです(好きな方、不快な気持ちにさせてしまったらごめんなさい)
この本を読んだ上で、自分がスピリチュアルにハマるか、ハマらないか、と考えてみると、後者よりだと思います。「より」、と書いたのは、自分が目に見えないものを全部否定してるかといったらそうじゃないなと思ったからです。例えば、墓参りや仏壇で拝む際、死んだ親に「がんばるからね!見守っててね!」と心の中で話しかけてる時があります。姿が見えない、現実にはいない人にです。
けれども、エネルギーや波動と聞くと、波動?なんじゃそりゃーまあ発散したい時に大声で叫んでかめはめ波とか出せたらすっきりしそうだな(想像するだけでもすっきりする(笑))、とか、前世?来世?いえ毎日を生きるのに必死で、ダメで弱い自分でもこれが今の自分だし人生1回きりと思うからもがいてるんです…しいて言えば生まれ変わったら飼い猫になって快適にゴロゴロ暮らしたい(しいて言えばだよ)なんてことを思う人間ですわたしは。
他にも、願えば叶う、潜在意識の法則、オーラ、宇宙とつながる…色々気になる言葉はあるのですが、私は一部のスピリチュアルしか知らないし、関わったこともなく。海外のスピリチュアルはまた違うものかもしれないし、でもとにかくよく分からない世界だ、というのが私の印象です。そして、私は自分がよく分らないものに自分の決断や人生をゆだねることはできない、したくないなと思います。
一方で、スピリチュアルを拠り所にしていて、そこから生きる糧をもらっている人もいるだろうし、幸せに生きたいという気持ちは否定できないと思うのです。安心したい、癒されたい、ポジティブになりたい、現実逃避したい、生きる意味がほしい…そういう気持ちは誰しももっているよね…私はよく、逃げたいと思うことがあります(笑)
そこも踏まえて、これさえやったら愛されるし豊かになれますよ、これを身に付けたらハッピーになれますよ、と誰かが言うことに従うのは安心かもしれないけど、自分の人生は、幸せはそこにあるんだろうか?と思うのです。
生きている限り悩むし不安だし嫌なこともあるし傷つくし寂しい時もあるし失敗もするし損するし後悔もするし泣きたくもなるしネガティブにもなるよ。(すごい負の言葉のオンパレードだ)
何かにすがれない私は、そのたびに痛いわー!誰だ死ぬこと以外かすり傷って言ったの誰だー!(本読んでる方いたらすみません(笑))とわめきながら泥臭く生きていくしかないよな、と。
それでも、ない知恵を振り絞ってジタバタを繰り返して、痛い思いしてもこんなのへっちゃらだぜ!といつかどこかのヒーローばりに思えたらなかなかいい人生よね。それまでは好きなおやつ、湖池屋のじゃがいも心地シリーズで自分を励まして生きようではないか。(くしくもご利益ありそうなゴールドカラーパッケージだなと思う私はいつかスピリチュアルにハマる日がくるのだろうか(笑))
印象に残った箇所は色々あるのですが、宗教や信仰はデリケートな話題だと思うし、どこか一か所を抜き出すと誤解を生じるような気がしてならないので、最後に書かれているこの文章というか問いを載せておきます。こんな世の中に住む自分はこれからどうなるの?に対する問いです。
印象に残った文章
ここに及んでも人は自分自身の頭や心で考えずに、その答えを誰かに求めようとするのだろうか。
読書記録「わかってもらいたい」という病 香山リカ
hungryswallowです。
香山リカさんの「わかってもらいたい」という病を読み終えました。
タイトルが気になって手に取った本です。
なぜ気になったか。
それは私自身がLINEで友人とやり取りしていて、ああこの人には自分の気持ちを分かってもらえないんだなと思ったことがあるからです。もっと言うと、友人に対してイライラしてしまったからです。反省。
そんな友人は何をしたかというと、ただ私と違う意見を述べた、その時全く私が欲しくなかった回答をした、それだけです。けれど私はとても嫌な気持ちになったのです。LINE上で議論したいわけではなく、ただ自分の気持ちを「わかってほしかった」のです。
この本は、香山先生の診察室にくる患者さんの「わかってもらえない」話を交えながら、「わかってもらいたい」とは何か、なぜわかってもらえないのか、それをどう受け止めていったらいいか、ということについて書かれています。
誰かにわかってほしいと思ってる時点で、相手にこう答えてほしい、こんな対応をしてほしいというイメージをもっている、という内容を読んだ時に腑に落ちたというか。相手に期待してしまっているわけですね。そこから外れた対応をされるとがっかりする。これは自分だ、と図星でした。私の反応は、ほしいものが手に入らなくてだだをこねているいい年した大人ってところでしょうか(笑)
相手だって超能力者じゃないんだから、まして違う人間だし分からないよね。まあ別に誰にもわかってもらえなくてもしょうがない。そう気楽に思えるようになりました。
そう考えると、まるごとそのままの自分をわかってもらいたい、愛してほしい、というのもどれだけ一方通行な考え方かと。(気をつけよう)
かといって、誰にもわかってもらえなくていい、と強く思える人ばかりではないと思います。辛かったり悩んだりしていると、色々外に求めてしまうし、残念ながら、誰かにわかってほしいという気持ちを利用する人達もいます。X JAPANのToshIさんが洗脳された事件や、座間死体遺棄事件についても触れられており、怖いなと思いました。
色々なセミナーやスピリチュアル、SNS上の人間関係、果たしてそこに理解を求めることが幸せ、解決なんだろうか、自分の「わかってほしい」は誰に何をわかってほしいのか。(私の場合は相手からの同意がほしかった)そんなことを考えました。どうしても相手に理解されることを求めてしまいがちですが、それがなくとも大丈夫と思える自分でいたいものです。
印象に残った文章
「ほどほどに願う」ということはむずかしいことだが、「わかってほしい」、でも「わかってもらえなくても、そのことじたいが不幸でも失敗でもない」と思いながら、あせらずに「どこかにわかってくれる人がいるかもしれない。いたらいいな」と願って求め続ける。これしかないのではないだろうか。
読書記録 食堂かたつむり 小川糸
元気がない時はおいしいご飯に限る。
ご飯を食べれるだけ自分いいじゃないと思うhungryswallowです。
今日は小川糸さんの「食堂かたつむり」を読み終えました。主人公の女性は、同棲していた恋人に家財道具や貯めていたお金を持ち逃げされ、そのショックから声を出すことができなくなります。地元に戻り、小さな食堂を始めます。料理をすることを通し自分を取り戻していく話です。
もし自分の好きな人に、裏切られたら、大事なものを一度にたくさん失ったら、どれだけキツイか。自分だったら立ち直れただろうか…読みながら、倫子(主人公の名前)、頑張れと思う自分がいました。(頑張れとか人に滅多に言わないようにしているのに 汗)応援したくなる主人公っているよね。
自分は丁寧な凝った料理は作れず、なんとか自炊してます程度ですが、料理にはパワーがあると思っています。昔失恋をした際に、ご飯が喉を通らない、食べられないという経験をしてから(あの頃私は若く弱かった)、食べられることに感謝するようになったし、その時間だけは幸せをかみしめよう、ご飯食べれるだけいいよねと思うようになりました。下手でも自分で作ったぞ!という達成感もあり。(ご飯炊けたわ~。電子レンジ使ったわ~くらいでも十分なのです)
そんな自分からすると、主人公が傷つきながらも誰かのために料理を作ろうとする姿はとても尊く見えます。
祖母や母親との関係も書かれており、自分の家族のことも考えながら読みました。
印象に残った文章は、母親から倫子に宛てた手紙の中から。こんなことを子供に言える母親は素敵ですね。
印象に残った文章
きちんと地面に足をつけて、呼吸しなさい。
あなたみたいに偏屈な子どもは、もっともっといっぱい遊んで、恋をして、世界を広げなさい。
好きな文房具 シャイニーのミニデータスタンプ Shiny Mini Dater S-300
好きな文房具といえばこれ。
日記や読書ノートを書く際に、シャイニーのミニデータスタンプを使っています。回転式日付印というものだそうで、このスタンプをノートに押すのが日課になっています。
インクパッドが内蔵されているのでスタンプ台も必要なく、そのまま紙にポンっと押すだけです。
https://twitter.com/MADpOHSdwssrE8n/status/1241704995340210177
ノートに押すとこんな感じ。↓
読書ノートだとこんな感じ↓
ええ、ただの日付です。ペンで書けばいいじゃんという声も承知です。
でも一日の終わりに、机にむかい、自分で日付を合わせて好きなノートにポンっと押す。この瞬間が妙にクセになります。儀式です。私にとっては書くスイッチのようなものです。
…要するに自分の気分がちょっと上がります(笑)
8年間は使えるようです。8年後なんて想像できませんが、8年間何か記録できたらなかなか!と思って今は使ってます。書く時間を楽しくする粋なやつ、とでもいいましょうか。大事に使おうと思います。
読書記録 月と六ペンス サマセット・モーム
こんにちは。hungryswallowです。
三連休だろうがコロナだろうが基本引きこもりなので悲しいくらい生活に影響がない。(買占めはやめてほしいですが)コロナウイルスのおかげで自分がいかに非リア充&孤独耐性強めということが分かりました。
サマセット・モームの「月と六ペンス 」を読み終えました。
読み終わったあとにもう1度読みたくなる小説です。人生でもう1度読みたいと思える本に出会えるのは、けっこう幸せなことだよなと。本を読めること、読む時間があること、それだけですごく恵まれてるよなと。脱線してしまいました...
さて、この本に出てくるストリックランドという男は、40歳を過ぎて、仕事も家族も捨てて絵の道に入ります。家庭も安定した仕事もあり、何不自由なく暮らしていた人間が全てを捨ててしまうのですから、周りから見ると全く理解不能です。
絵を描くということ、美を求めることに駆られて、そのためだけに生きる。世間体や見栄、社会的な地位や人からの評価、そういったものはどうでもよく、ただ美を描きたいという内側からの情熱に突き動かされて生きる。
こう書くと、崇高な生き方に見えるかもしれませんが、なかなか苦しい生き方だと思います。実際人からしたら狂ったように見えるし、嫌われます。それでも死ぬまで描き続けます。文字通り自分の全てを絵を描くことに捧げます。
人は何かに情熱をもつとここまでなるのか...と強烈な生き方に頭をガツンとやられます。真似したい生き方ではない、けれど心を震わせられる生き方。
自分は必要以上に世間体、見栄、人からの評価、つまらないものを求めて生きていないだろうか、それは自分にとって大切なものだろうかと考えさせられるのです。
ストリックランドとの会話のやりとりも面白いので印象に残った文章にちょっと載せておきます。
印象に残った文章
「有名になりたくないんですか?たいていの芸術家は名声に無関心ではいられないものです」
「子どもじゃあるまいし。なぜ顔も知らない連中の意見を気にする?知り合いの意見だってどうでもいいのに」
世の中にはおかしな人間がたくさんいておかしなことをしている。…人はなりたい姿になれるわけではなく、なるべき姿になるのだ、…
読書記録 私はのんびり生きてきた。香山リカ
今日読み終わった本。
「私はのんびり生きてきた。最適化社会が不幸を生む」
私には香山さんがのんびり生きているようには見えないのですが(笑)、
最適化、効率化を目指す社会ってどうなの?と問うています。
もう少し肩の力を抜いて生きようよ、という本です。
朝活はしなくていい、スピリチュアルにはしがみつかない、など実際の患者さんの例や香山さんの考え方が書いてあって面白いです。
刺激的な内容や何か目新しいことを書いているわけではなく、ゆるい内容です(笑)
だからこそ読みやすく、何よりもゆっくり生きようと言ってくれるお医者さんがいるだけで気持ちが楽になるんじゃないかと。毎日元気もりもりです!ポジティブに生きてます!という人には響かないかもしれません。頑張りすぎてる人、無理してる人、少し疲れている人には共感できる内容だと思います。
この本が発行されたのは2011年。それから9年たって、私達の社会はやっぱり効率化を求める忙しい社会なわけで。キャリア、転職、お金、健康…とにかく情報がたくさんあって、さらに何かしなければいけない、〇〇がないといけない、と不安にさせられたり急かされたり。不安だから何かにしがみついてしまうし、情報にも振り回されてしまうのですが、何かをパッと手放せる柔軟さや、多少のことでぶれないマイペースさを持って生きたいと思うのです。もっとのんびりいきましょうよ。
印象に残った文章
もっと、ゆるくいきましょうよ。